このアジアの片隅で、考えた。

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リセットボタン、ふたたび。コロナ離婚しそうになった夫婦の話

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「あんたと一緒にいるのもう耐えられない。別れようよ。離婚したい」


頬の辺りが熱くなるのを感じながら私が乱暴に投げ出したラーメン丼は、見ると流しでぐちゃぐちゃになっていた。まだ熱い醤油ラーメンは生きたタコみたいに黄色い足を投げ出して、その下で白いお皿が真っ二つに割れていた。
先月買ったばかりの、かわいい陶器のボウル。
夫と私用に、お揃いで2つ買ったばかりだったのに。

 


きっかけは、我が家でいえば時々あることだった。

新型コロナの影響で在宅ワークしている夫と、幼稚園が自粛中の子どものために、私は毎日昼ごはんを作っていた。
これまでランチは外食か適当に残り物を食べるのが定番だった私にとって、毎日メニューを考えて家族分を作るのは最初は大変だったけど、何ヶ月も経つと少しは慣れた。
メニューを考える大変さは料理を数種類決めてルーチン化することで少しは楽になった。


その日の問題は、少し醤油ラーメンの量が多すぎたこと。(1人分しか入れてないはずだけど、彼にとっては多すぎたみたいだ)
そしてダイエットしたい夫が大量に残したことだ。
彼は無言のまま席を立ち、まだ熱いラーメンを流しに捨てようとした。
その光景が私には耐えられなくて、激怒してしまった。


「ちょっと待って。なんで捨てるの?」
「食べたくないから。いつも言ってるけど多すぎるよ」


確かに量が多すぎたのは悪かった。でも先週は3人で2人前を分けたら少なすぎた、だから今日は3人前を作ったのだ。それをわかってない。夫は料理をまったくしないから!
瞬時にそこまで思考がつながった私は瞬間湯沸かし器並みに頭に血が上った。


「だいたいご飯だよって呼んでもあなたがすぐ来ないから伸びてふやけるんだよ。呼んだら早く来てよ。
そもそもあなたは自分のことしか考えてないよね。自分がダイエットしたいから食べたくないだけ。一生懸命作ったものをそのまま捨てられたらどう思う?
ちゃんと具材まで手作りして時間かけて作った人の気持ちをまったく考えてないよね」
夫の口を塞ぐように畳み掛ける私。
「あんたと一緒にいるのもう耐えられない。別れようよ。離婚したい」
言いながら涙が出てきてわんわん泣いてしまった。


泣きながら、私は分かっていた。
ラーメンを捨てられたのが悲しかったんじゃない。
私はこの2ヶ月半、怒涛の中にいた。
生活する国が変わるほどに暮らしが激変して、怒涛の波に圧されてまっすぐに立っていられない自分が悲しくて悔しくて、それをすべて夫にぶつけて泣いてしまったのだ。

 


3月まで、私はとある東南アジアの国に住んでいた。
あの、いる時はうっとおしくてたまらない、けど遠く離れた日本からは懐かしくてたまらない暑さと日差しと匂い。
最初はまったく知らない異国だったのに4年住んでいるうちに大好きになった、おせっかいでおもしろくてカラフルなあの街。美味しいものも楽しいものもひしめいていて、友達もたくさんできたあの大好きな街。
それが、今年の2月頃から様子がおかしくなった。


毎年2月頃の春節シーズンになるとたくさんの中国人がこの国にやってくる。街中が紅く華やかに飾られ、セールやイベントが目白押しになる。
それが今年は春節に入る直後に中国人の入国がストップした。
華やかなデパートの飾り付けが不釣り合いなほど閑散とした街。出歩く人は明らかに去年より激減していた。日差しにじりじり焼かれながら私はマスクを二重にして、できる限り家にいるように過ごした。


そして3月。夫と会社の判断により、私達は急遽日本に帰国することになった。
急遽というのがどれくらい急ぎかというと、決断した翌々日朝にはもう空港に向かっていた。
「一時帰国」と思いたいけれど、いつ戻ってこれるかわからない。この状況下、年内に帰ってこれるかどうかも未定。下手したらこのまま本帰国になるのかもしれない。半月前はいつもの友達でランチしてたのに、あれが最後になるなんて。友達に一言も挨拶できなかった。最後に思い出作りもできなかった。


持ち出せたのは家族3人でスーツケース2.5個。
家も家財道具もすべてそのまま。最低限の衣類や化粧品、貴重品以外はすべてそのまま置いて出てきた。出て来るしかなかった。色々な事情が重なったためにあまりにも急で、国際郵便の手配すらできなかった。


本音を言ってしまえば、私は帰りたくなかった。
もちろん日本は大好きだ。日本で生まれ育ち、親兄弟も友達も日本にいる。
でも私は4年前、すべてを捨ててこの国に来た。
仕事も辞め、まだ小さかった子どもを連れて、家も車もすべて売り、友達も知り合いもほとんどいない国に住むことになった。
夫の仕事上の決断だったし納得もしていたけど、私は強制リセットボタンを押されたように真っ白になった。
友達にも会えない、言葉も通じない国でただひたすら家事をして育児をして、最初は自分の生きてる意味がわからなくなる程辛かった。


でも、少しずつ生活になれ、ブログという趣味を見つけ写真を始め、SNSや写真を通じて友達ができると、だんだんとこの国が好きになっていった。
4年かけて、まわりの友達との出会いのおかげで、この国が私の生きる国なんだと思えるようになっていた。

 

それなのにまた、リセットボタンが唐突に押された。
リセットボタンを乗り越えて笑えるようになった私は、リセットボタンにまた泣かされた。
ネタにしたからリセットボタンに復讐されたのかな?
あんなネタにして記事とか書かなきゃよかった。フリーペーパーに掲載された!とか小躍りしてた当時の私の肩を叩いて耳打ちしてやりたい。
「リセットボタン、またくるよ」って。

 


空港は見たこともないほど閑散としていた。
長い長いまっすぐの動く歩道に誰もいない様子が、不気味で悲しくてたまらなかった。


今までに何十回も子連れで飛行機に乗ったことがあるけれど、間違いなくこの時のフライトが精神的に1番キツかった。
マスクとビニール手袋の完全防備をして、長時間の子連れフライト。夫はゴーグルまでしていた。
もしかしたらこのフライトで感染るかもしれない。感染ったら死ぬかもしれない。もし自分や子どもがかかっていたら、誰かに感染させてしてしまうかもしれない。その人が亡くなるかもしれない。どれだけ念を入れて繰り返し手を洗っても、おそろしい可能性は拭えなかった。


日本についたら、2週間の自主隔離生活が始まった。生活に必要最低限の物を買うのもままならない、家からほとんど1歩も出ない生活。
最初の2週間は、咳払いひとつ、うっすらとした喉の痛みひとつにもビクビクしながら過ごした。
そしてなんとか2週間を乗り越えた後、事情によりまた移動。再び2週間の自主隔離生活が始まった。しんどいけど、誰かにうつす恐怖よりはいくらかまだマシだ。

 


元々住んでいた東京の家は今はもうなく、住む家もどこで暮らすかも私達はイチから考えなければならなかった。

そして日本のとある田舎に住み始め、やっと2ヶ月が過ぎようとしていた。
なんとか2週間×2回の自主隔離生活を乗り越えて、病気にはならず誰にもうつさずに済んでよかった。


けれど、生活環境のすべては激変していた。
住んでいる国が変わった。新しく家を借り、元々住んでいた場所ではない、まったく土地勘のない場所で暮らし始めた。
家財道具も1つもない、空っぽの白い部屋に生活に必要なものをイチから買い集めることから始めなければならなかった。


友達は1人もいない。親戚が近くに住んでいてそれだけが救いだけど、今のご時世でそんなに会いたいとも思えない。


なにより、私の人生はまた真っ白になった。
せっかくひとつひとつ積み上げてきた人間関係も、やってきたことも、これからやりたかったことも、何処かから意地悪な腕が伸びてきて1つ残らずなぎ倒されてしまった。
なんだここ、賽の河原か?
大切に積み上げてきたたくさんの小石たちはガラガラとすべて崩れてしまって、またいつ崩されるかも分からなくて、私は積み上げる気力を完全に失っていた。

 


2ヶ月間の積もり積もったこのつらさが、夫の残した醤油ラーメンを丼ごと流しにぶん投げて器を割るという暴挙に走らせた。自分が捨てるなって言ったのに何をしてるんだ私は。
夫は悪くない。(いや悪いけどさ)  彼の言動はただのきっかけで、私の積もり積もったつらさが暴走したのだ。こんなこと初めてだった。

 


でも私は本当に夫と一緒に暮らせない気持ちになってしまっていた。
仕事に集中してしまうと彼と会話が成立しなくなること。相槌があっても、後で聞いてみると全然話を聞いてなかったことが判明することが何度もあった。
私は初めての土地で毎日必死で暮らしてるのに、さも当然かのように振る舞う夫が憎くて憎くてたまらなかった。
こんな生活もう嫌だった。すべて投げ捨ててどこか他の場所に帰りたかった。
今すぐにでも役所に離婚届を取りに行きたい。あ、でも私は運転免許ないから自由に動けないんだった、ちくしょう。

 


子どもへの影響を考えて別室に移動した私達は、泣きながらとことん話し合った。


彼は変わりたいと言い、謝罪してくれて、私の今の気持ちを理解しようとしてくれた。
私も、助けてほしいあまりに悲鳴のように発してしまった言葉のきつさを詫びた。

 


冷静になって話しながら、問題の根本は結婚する前から何も変わっていないことに私は薄々気付いていた。
彼の「仕事に集中したい(自分を尊重してほしい)」。私の「私を理解してほしい(愛がほしい)」。シンプルにいってただそれだけ。
付き合っていた当時も、結婚してからも、何度か同じようなことで私達は忘れた頃に時々ケンカしてきた。
人間は根本はそうそう簡単には変われるものではないのだ。


でも、まだ「変わりたい」と彼は言う。彼の涙を久しぶりに見て申し訳なくなってしまったけれど、感情に流されてうやむやにしないように私はなるべく冷静に話すように努めた。


感情に流されてうやむやにはしないけれど、ひとまずの伝えたいことは伝え、きちんと受け止めてくれたと感じた。
夫婦というチームで乗り越えていけるよう、お互い歩みよろう。お互い自分の行動を変えていこうという結論になった。


私も、伝わらないと思うと言葉がエスカレートしてキツくなりすぎる傾向があるので気をつけなければならない。

 

コロナ離婚はひとまず保留だ。
けど、お互いに気をつけなければすぐに行動のクセが出る。人間は慣れるとついいつもやってる楽な行動を繰り返してしまいがちだ。
お互いを尊重し合う。それが夫婦というチームを成り立たせていく。お互いに尊重しなくなったらすぐにガラガラとチーム崩壊まっしぐらだ。
夫婦というものは…なんて大き過ぎる主語でひとくくりにはできないが、少なくとも私達夫婦はお互いに投げかけたものが返ってきた。その結果の爆発だったのだと思う。
尊重すれば尊重されるし、ぞんざいに扱えばぞんざいな態度しか返ってこない。


ケンカを終えた後、部屋に戻ると子どもが笑顔で飛びついてきた。ずっと1人遊びをしていたけど、不安だったのだと思う。
不安にさせてごめんね。子どもの前でケンカしたくなかったのに、堪えられなくてごめんなさい。ギュッと抱きしめて「ママはパパとケンカしたけど仲直りしたよ。ママは〇〇ちゃんもパパも大好きだよ」と伝えたら、ニコニコうれしそうにしていた。
大切なこの子のためにも、夫婦というチームで協力し合いながらここで暮らさなければ。


今回起きた私たち夫婦にとって大切な出来事を昇華したくて言葉にした。
そして忘れないようにここに記した。
これから夫婦としてこの地で笑顔で過ごせるよう、自分の行動に気をつけていこうと思う。