このアジアの片隅で、考えた。

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命を宿して思うこと

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最近、お腹の子の動きをよく感じる。

服の上からでもびょこんびょこん!と波打つのが見えてビックリする。自分の意思じゃなく身体が動くのはおもしろくもあり、神秘的。

 今年の始め、あのソチオリンピックの頃は豆つぶかカエルちゃん位のサイズしかなかったのに、今や間違いなくそこにいて命ある存在だと分かる。たった数ヶ月の間にこんなにも育つなんて、命ってやつは本当にものすごい。

 

大人になって当たり前かのように毎日生きているけれど、私たちが最初に「生まれた」ってことは、本当に奇跡みたいにものすごいことなんだ。

だって、「生まれた」というのは間違いなく一瞬でポンっと生まれたワケもなくて。

十月十日、正確に言えば9ヶ月くらい? つわりとか体調不良とか腰の痛さとか諸々の心配事とか、しんどいことがあってもちゃんと乗り越えて、お母さんが「生みたい」と願って守り続けてくれなければ、私たちは生まれることはできなかったわけで。


間違いなく、つわりやら、この大きいお腹やらはものすごいしんどい(笑)それでもちゃんと乗り越えてくれたってだけで、すべてのお母さんを本当にスゴイと尊敬する。

 

そして妊婦になって分かったけど、宿しているお母さんだけのチカラでは乗り越えていくことは、おそらくできない。
パートナーや両親やきょうだいや義父母、親戚や友人、お医者さんたち、行きずりの人の優しさやら、先人達の智慧やご縁。

たくさんの存在が「大切な存在だ」とお腹の中の子のことを認めて守ってくれたからこそ、初めて「生まれる」ことが叶ったんだなぁとつくづく思う。

 

そういう意味で、私たち命は最初から「歓迎されている」「祝福されてる」存在なんだなぁと思う。

 

生まれてほしい。

この子に会いたい。

その思いがなければ、私たちは生まれてきていないはずだから。

 

どの命もひとつ残らず、少なからず愛されて生まれてきた存在なのだと、感じる。

 

そんなことをつらつらと考えつつ。

「宿ってくれてありがとう」

そう思ってなでると、またお腹がびょこん、と動いた。