このアジアの片隅で、考えた。

教育、育児、読書、人の成長など…日々考えたこと

日本のいいとこ、悪いとこ

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最近、日本人の子どもが参加するサークル(のようなもの)に参加している。

サークルの活動自体はとても楽しく、うちの子も毎回喜んで参加してるのだけれど、その中で、ちょっとモヤっとすることがあった。

 この会に参加しているのは、だいたい3〜5歳前後の子ども達。
大半が日本人学校(幼稚園)に通っている日本人のようだ。

 

マナーがきちんとしている子が多い。
背筋をピン!と伸ばして、膝に手を置いてきちんと座る。
手を挙げて発言したり、先生のお話を聞いて、指示に従って動いたり。

 

インターナショナルスクールでは(残念ながら)あまり見かけない光景だ。

 

私はこういう日本的なマナーは素晴らしいと思っていたのだが、一方でちょっと「怖さもあるな」と感じてしまった。


というのも、先生の号令に従えない子や騒いでしまう子がいると、きちんとしている子がすごい目つきで睨んだり、「あぁ、うるさい!」と耳をおさえたり。
場合によっては親や先生から見えない位置で、従えない子を蹴ったり、物を投げつけたりするのを見てしまった。
それも、何度も。


一律でルールに従って動く日本人は、美しい。

うちの夫は、日本にいた頃はある武道を習っていた。
日本らしい礼節を重んじ、型に倣うことで学べる精神性は、側で見ているだけの私には言葉に出来ない程の美しさを感じた。
有無を言わせない厳然たる型があることで、何百年も受け継がれてきた深い学びもある。

 

また東南アジアやアメリカで過ごすと顕著に感じることだが、皆がある程度高いクオリティのサービスを提供できる国は、日本くらいしか私は見たことがない。

海外で店に入ると、サービスを提供しないでケータイ眺めていたり、スタッフ同士でダラダラとおしゃべりしていることがよくある。
自分の用事が終わるまで接客しないスタッフとか。
海外あるある、というかそちらの方が一般的というべきか。
もちろん店やサービスレベルにもよるが、その最低ラインが日本国内では著しく高いと思う。

 

高いクオリティのサービスを提供しよう(しなければならない、して当然)と皆が思っているのは、日本くらいではないだろうか。

 

でも、横並びで皆が同じことをしている(できる、しなくてはならない)からこそ、少しでもそれができない、異質な存在が気になってしまう側面もある。

はみ出す存在は否定して、冷遇して排除してもいいのだと考えてしまうとしたら、なんだか怖い。

 

親達からしてみれば、「マナーのいい良い子」が、一方で「マナーの悪い子を虐める子」だとしたら。
3〜5歳位の子どもの素直な反応に、こうやってイジメが生まれるのだろうか…とヒヤリとした。


ありきたりな言葉になるが、「みんな違って、みんないい」。

マナーは学ぶに越したことはないけれど、違っている子を排除する必要はない。


この本質的な部分を、我が子には知っていてもらいたい。
そして私もその姿勢で子どもと接したいと、強く思った。